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ドイツ語圏だけで三万箇所?!お城を検索してみよう

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↑私の城郭探索計画(2011年)。城跡も含めると本当にたくさん見るべきものがあります

ヨーロッパ全域にちらばる無数の城。
すべてを把握することは不可能ですが、どこに何があるか、調べることができます。

これに関連して、私の以下のツイートが思いのほか反響ありました(なぜか400イイね超えました)。


このサイト(Alle Burgen)では、お城の基本情報と図版が記載されており、地域ごとに分類されています。
また、お城を描いた歴史的な図版も城ごとにまとめられていたりもします。

改めてドイツ人やるなぁと思いました。とにかく学術的なデータバンクを構築することに関しては長けています。
ドイツではこういうプロジェクトが、学問分野や所属機関をまたいで組織され、有給で研究者が雇われています。
日本でももっとこういうことすればいいのにと思いますが、とりわけ人文系では学問分野ごとに人材が分断され、お互いの交流が進んでいません。予算もないですし。
問題が山積みですね。。

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ところで、ブログをリニューアルしました!
トップページから記事全文が読めるようになりました(コメント欄は個別記事にアクセスしないとでませんが)。
私としてもこの構造のほうがちょっとした雑談記事も投稿しやすくなる気がしまして。
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ロンネブルク城 その1 ―中世とルネサンスの混濁―

城郭の時代を中世(1500年以前)とする見方は広く定着していますが、実際は、そんなこともありません。
16世紀以降も中世城郭が、新しい建築様式を伴って生き続けたのです。
そうした例は枚挙にいとまがありませんが、今回はロンネブルク城を取り上げましょう。
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マインツ大司教が13世紀頃に、シュペサルト地域とゲルンホイザー地域へ進出する足掛かりとして建設したと考えられています。

フランクフルトからローカル電車に乗って、ハーナウからバスに乗り継いでいきました。
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ロンネブルク城のおひざもとまでやってきました。
馬糞のにおいがする、のどかな町でした。

・・・・あれ、民家の庭にお馬さんがいるぞ。
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不思議なこともあるもんだと思いつつ、お城を目指して山を登りました。

・・・・あれ、お城があちらにある。違う山を登ってしまった!
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泣く泣く下山して、また登りました。お城にたどり着いた時にはもう脚が棒。
ですが、日本人がなかなか行けないお城をまわるのが楽しいのです。開拓者精神です。
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門をくぐると、受付があります。受付で何ユーロか支払うと、あとは自由に城の中を見学できます。

防御回廊。壁の内側で守備兵が自由に行き来するための廊下で、このあたりは中世っぽいですね。
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中庭には14世紀からある主塔が立っています。四方向に窓が付いている様は独特ですが、塔の横の出窓も独特です。
明らかに塔の壁よりも新しいつくりです。そう、出窓が流行したのは16世紀。ルネサンスの時代の建物が、中世の建物と一体化しているのです
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主塔を登ってみると、周辺の田園風景を一望できます。これは支配者の特権ですわ。
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次回は、内部の様子もお伝えしたいと思います。


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【特集】意外に質素?城主の食事

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↑ホルンベルク城のぶどう畑。お城独自のワイナリーが現在も続いている


中世の貴族は何を食べていたのでしょうか?
多くの貴族が城郭に住んでいた1300年前後の食生活をみてみましょう。

1300年頃までの中央ヨーロッパでは、食事は基本的に一日2回でした。
朝食はミサの後、午前9時ごろでした。
ある日のメニューは、オートミールのムースとチーズ、ワインとミルク(子供用)でした。
1300年以降には、パン食がメインとなりました。貴族は小麦、大麦の白パンを、農民はライムギ、オート麦の黒パンを食べていたとか。
豊かな貴族は、朝からパンとお肉を食べました。肉は家畜の豚か牛。狩りで仕留めた野獣も食べました。

昼食兼夕食は午後3時~6時にかけてゆっくりと行われました。時には客を招いて宴も催されました。
食卓は豊かに刺繍を施されたリンネル生地で覆われました。テーブルクロスなしで食事をすることは、たとえ戦時であっても好ましくありませんでした。
中世ではまだ木製の食器が使用されていましたが、やがて貴族は錫製や銀製の食器を使うようになりました。
テーブル上にはナイフと木製スプーンがみられますが、フォークは中世ではまだ使用されておらず、あくまで肉を切り分けるための道具でしかありませんでした。

良い祝宴では食事は7~8品だされました。大公カール・デア・キューネ・フォン・ブルグント(シャルル突進公)は、1473年にドイツ国王をトリーアでもてなした際に、33品だしたそうです。
前菜にスープ、そしてメインの肉料理が出されました。肉料理はソーセージのほか、鹿肉のベーコン、うさぎ肉のテリーヌ、孔雀の丸焼きなどがありました。デザートにはハチミツのケーキ、スパイスのケーキ、タルトなど。砂糖は高価だったため、ナシジュースやハチミツが頻繁に使用されていました。スパイスも高価で、1袋のサフランは牛1頭に相当するとか。

飲み物はビール、メット(蜜酒)、ワイン。ワインは保存に優れているため、客人をもてなすにはうってつけでした。
ライン地域やフランケン地域のワインは人気でした。モーゼル地域のワインは、フランスの貴族にも買われたそうです。
祝宴では、豪華さを演出するために、ワインにコショウが入れられることもあったといいます。

肉やパンの他に、野菜や果物もありました。ベリー類、キャベツ、ネギ、ウイキョウ、カブ、セロリ、カボチャ、ナシ、リンゴ、苺、スモモ、キノコ、ナッツ、ぶどう・・・。鶏の卵も好まれました。ハーブは、シソ、ローズマリー、セージ、キャラウェー、フェンネル、コリアンダー、ディル、パセリ、チャービル、ニンニクなど。
意外にも、ジャガイモが食べられるようになったのは近代になってからです。

こうやってみると、中世の豪華な食事は、現代の私たちの飲み会程度のものだったようにみえます。いや、むしろ私たちのほうが贅沢しているかもしれませんね
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ロンネブルク城に展示されている中世の厨房の様子

ドイツビール&ソーセージ特集

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ドイツ語はおもしろい。

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↑言葉も体格も力強いイメージのあるドイツ。でも実際はかわいいもので溢れている。バンベルクにて


ちょっとした息抜き記事です。

私はこれまで英語、ドイツ語、フランス語、古典ラテン語を勉強しましたが、結局一番気に入ったのはドイツ語でした。
なぜだろうか?・・それは自分の耳に心地よいからかもしれません。

ドイツ語の力強さと、ちょっとおかしなところが特に私の耳を楽しませてくれます。
例えば・・・

Miso-suppe(ミソズッペ):みそ汁
スープの事をズッペといいますが、すする感じがうまく表現されていて良いと思います。

Deutsch(ドイチュ):ドイツ語
これは有名ですね。

der Bus(ブス):バス
ちなみにマイクロバスはKleinbus(クラインブス)、バス旅行はBusreise(ブスライゼ)、トロリーバスはObus(オブス)。

Ach so!(アッハゾー):あっそう!
そのまんま。

nanu(ナヌー):なぬぅ?
そのまんま。

gehen/ging/gegangen(ゲーエン/ギング/ゲガンゲン):英語でいうgo/went/gone
この発音を初めて聞いた時、「そうきたか、やるなドイツ語」と思いました。

puppen(プッペン):おならをする
かわいいおなら。ちなみに名詞はder Pup(プップ)

der Hunger(フンガー):空腹
ドイツで空腹に襲われたら、取りあえずフンガー!と叫べばなんとかなりそうです。

die Doppelstaatlichkeit(ドッペルシュタートリッヒカイト):二重国家制
日本語もそうですが、ドイツ語は名詞が連結して一つの単語を形成することがあります。なのでものすごく長い単語が出来上がります。これは歴史学用語ですが、発音が格好良いのでお気に入りです。

語学学習はとても大変ですが、こういうささやかな面白さを発見していくことで続けられるのかもしれません。
近年はドイツ語の人気が落ちてしまいましたが、なんとか盛り上げていこうと思います!ドイツで蓄積された歴史と文化・芸術は計り知れないものです。ドイツ語を学習することで、これらを紐解くことのできる大きな教養を得られるでしょう。

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【特集】二重礼拝堂のしくみ -社会的ヒエラルキーの可視化-

ヨーロッパのお城には必ずといっていいほど礼拝堂が付いています。
その礼拝堂にも、様々な形態があります。
なかでも支配者の居住地にありがちな礼拝堂の例として、二重礼拝堂(Doppelkapelle)を挙げることができるでしょう。

現在でも二重礼拝堂を見学できるお城があります。それは、ニュルンベルクの皇帝城(Kaiserburg)です。
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皇帝城はその名の通り神聖ローマ帝国皇帝のお城。二重礼拝堂は、非常に地位の高い貴族の城郭にしばしばみられる形態なのです。写真の中央左よりに立っている高い建物がその外観です。

中はどんな構造になっているのでしょうか?
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礼拝堂は地上階と地下階に分かれており、それぞれが空間的にはつながっているものの、互いに直接行き来することができません。ミサを行う際には、地上階に身分の高いものが、地下階に身分の低いものが集まりました。皇帝は地上階のさらに上層の上席に陣取っていました。

人々が集まって日常的に執り行われるミサ。その舞台が、社会的なヒエラルキーを可視化するような構造になっていたのです。二重礼拝堂の構造は、支配者が厳格な身分社会を人々に意識させ、維持しようとした痕跡であるといえるでしょう。
二重礼拝堂は、現存するものでは多くが1150~1250年頃に成立しました(ニュルンベルクの二重礼拝堂も1210年頃)。

こうした二重礼拝堂のプロトタイプは、アーヘンにおけるカール大帝の宮廷礼拝堂にあるとされています(800年頃建設)。後期古代建築やビザンツ建築に影響を受けたその礼拝堂では、複数の階層が中央の吹き抜けによって空間的に結び付いているのです。
Aachen Dehio 1887
By Georg Dehio/Gustav von Bezold [Public domain], via Wikimedia Commons

お城に限ったことではありませんが、建築がなぜこのような構造になっているのか?という問題の中で、単純な利便性や技術的な要素以外のものが出てくると面白いなあと個人的には思っています。築城といえどやはり感情を持った人間の営みの一つなのです。

ただ、こういうのは考えすぎるとドツボにはまる危険性もある視点です・・・。注意しなければなりません。
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プロフィール

Ume

Author:Ume
ドイツのお城を専門に研究している珍しい人。歴史・美術史を専攻、修士(文学)。筆者についてはこちらもご覧ください。Facebookページはこちら。講演・執筆依頼など、メールフォームやコメント欄から気軽にご相談ください。
ブログのロゴが付いた写真は筆者自らが撮影したものです。無断転載・加工はご遠慮ください。

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