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ヨハニスブルク城 -ドイツ・ルネサンス城館の完成形- その1

ascha2.jpg
こちらは都市アシャッフェンブルク(Aschaffenburg)にあるヨハニスブルク城(Schloss Johannisburg)です。
ヨハニスブルク城は、17世紀初頭にマインツ選帝侯(=大司教)ヨハン・シュヴァイカルト・フォン・クローンベルクによって建設され、彼の名にちなんで名づけられた城館です。
この城館について、20世紀の美術史家ゲオルク・デヒオは、「ゴシックの不規則性」に対する「初めての勝利」と高く評価しました。その点で、ルネサンス城館の完成形とも考えられます。
一体なぜこの城館がそのような評価を受けるのでしょうか。詳しくみていきましょう。

アシャッフェンブルクへの旅
アシャッフェンブルクには比較的簡単に行くことができます。というのも、フランクフルトから電車で約30分のところに位置するからです。乗り換えの必要もありません。
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マイン川が流れるこの街の旧市街にはハーフティンバーの家がよく保存されており、歴史風情があります。
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またこの街は10世紀から1803年までマインツ大司教の支配下にあったため、957年に着工された聖ペテロ修道院教会をはじめ、数多くの壮麗な教会や修道院建築もみることができます。
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そしてマイン川に隣接する一等地には、マインツ大司教の城館が建っています。上の図はマティアス・メリアンによる1648年頃のアシャッフェンブルクの様子。正方形の縄張りで示されているのが、このヨハニスブルク城です。
マイン川河畔の茶色い砂岩で構築され、統一的で洗練された形態の堂々たるこの城館は、いかにして建造されたのでしょうか。

ヨハニスブルク城の建設とマインツ大司教
マイン川に隣接する台地に位置するこの場所には、13世紀頃からすでに城郭が存在していました。
しかしそれは1552年に破壊されてしまいました。
ヨハン・シュヴァイカルト・フォン・クローンベルクは、1604年にマインツ大司教(と同時に選帝侯)に選出されるやいなや、城の再建を決定します。アシャッフェンブルクはマインツ大司教領の境界付近にあるため、このあたりでの威信を増大させるためには、ここに大司教にふさわしい居城が必要だったのでしょう。

城館の建設は選挙の翌年頃からはじまり、途中1607年からはシュトラスブルク出身の建築家ゲオルク・リーディンガーが建設を主導するようになりました。
リーディンガーは職工長を務めた父の影響で、建築を学ぶためにイタリアやフランスを旅し、1595年頃からアンスバッハ辺境伯の城館の改築に関与していました。このアンスバッハでの仕事は、後の彼の建築に強い影響を与えたと考えられています。特に城館の建物が内庭の周りに集中し、角に塔を備え、水堀で囲われているような形態は、ヨハニスブルク城と共通しているのです。

建設の作業は全体を通じて順調に進行しました。古い城郭の跡が取り壊された後、1607年には城館の基礎部分、1610年には一階が粗レンガで構築され、建物自体が完成したのは1614年、内装まで仕上がったのは1615年、1618年頃には城内礼拝堂も出来上がりました。

建設には多くの人物が関わりましたが、イタリア人建築家などが招聘されることもあった当時、ほぼ全員がドイツ語圏出身であったこともこの城館の特徴といえます。

マインツ大司教ヨハン・シュヴァイカルトは、ここを主要な住居としました。
この城館には1622年にローマ教皇の使節ピエトロ・フランチェスコ・モントロ、1631年と32年にスウェーデン王グスタフ・アドルフ二世など各国の要人が滞在しており、政治的にも重要な拠点となったことがわかります。

例えばピエトロ・フランチェスコ・モントロは、ヨハニスブルク城に訪問した際、以下のように感想を述べています。

「69歳の大司教にして選帝侯のヨハン・シュヴァイカルトは、その年齢のわりに健康で生き生きとしており、狩りを行い普段はアシャッフェンブルクに住んでいる。彼はそこで、完全なる、非常に豪華な、全体的な快適さを備えた城館を建設させた。その礼拝堂もまた非常に美しく、豪華である。」-Jaitner, Kraus (Bearb.): Nuntiaturberichte aus Deutschland nebst ergänzenden Aktenstücken. Die Kölner Nuntiatur, Bd. 6, 1-2, München/Paderborn/Wien, 1997, S. 431-439 (Montoro an Ludovisi, Lüttich, 6. October 1622), Zitat S. 438.


つまり、マインツ大司教はその高い地位にふさわしい城館に住んでいたことが、各国の要人にも認められていたわけです。
このように、城主たちは居城の建築の豪華さをアピールすることによって、自分が実力を持っていて、政治的にも重要な立場にいることを知らしめたのです

それでは、建築そのものからは、このようなアピールの内容を読み取ることができるのでしょうか?
次回はヨハニスブルク城の建築的特徴についてみていきたいと思います。
ヨハニスブルク城 その2へ進む

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