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ヴィッテルスバッハ城址 ―バイエルン王のはじまり―

バイエルン王といえばノイシュヴァンシュタイン城を建設したルートヴィヒ二世。
ルートヴィヒ二世の祖先はヴィッテルスバッハ家
ミュンヘンを拠点に南ドイツを繁栄させたヴィッテルスバッハ家も、最初は小さな城郭の主だったといいます。
それは本当なのか?
ならば彼らの出身城郭にいってみよう!というわけでいってみました。
こんな動機で旅をする人ってあんまりいないですよね。

ヴィッテルスバッハ城へは、まずミュンヘンの隣町アウクスブルクからローカル電車に乗り換えます。
ローカル電車でアイヒャッハという町に着きました。
こんなところに来たことある日本人はいるのだろうか?と思いつつ、石畳の落ち着いた雰囲気の町を歩きます。
aich.jpg

アイヒャッハの旧市街を抜け、スクールバスに紛れ込み、オーバーヴィッテルスバッハという町に着きました(帰りはバスがなかったので農道5km歩きました)。
町の名前からしてもうヴィッテルスバッハ家の支配領域だったことが丸わかりです。
余談ですが、後でドイツ人の友人にここへ行ったことを話すと、「え、私の親戚オーバーヴィッテルスバッハに住んでるからよく行くよ」といわれてびっくりしました。

さて、さっそくお城探しです。
残念ながら、城郭自体は跡形もありませんでした。

Burg Oberwittelsbach 4.jpg
CC BY-SA 3.0, Link


建物として残っているのは礼拝堂と環状壁(R)の一部。この平面図でいうとAの場所に最も古い城郭(12世紀初頭建設)があり、Bにより新しい城郭が、CとDに前城があったようです。

wittel1.jpg
こちらが現存している礼拝堂。城郭が1209年に破壊された後、15世紀にゴシック様式で立て直されたようです。
とてもシンプルですが、細長い窓と窓上部のトレーサリー、東側を向いた内陣、壁を外側で支える柱がみられ、ゴシックの基本を押さえています。

wittel2.jpg
環状壁の跡はこんな感じ。これしか残っていないということは、かなり徹底的に破壊されたのだなという印象です。
というのも、この城郭の破壊は、国王フィリップ・フォン・シュヴァーベンがバイエルン公オットー八世・フォン・ヴィッテルスバッハによってバンベルクにて暗殺された・・・という事件の報復によるものだったからです。

騎士団長殺しどころか国王殺しをやって拠点の一つを失いながらも、地位を維持・拡大したヴィッテルスバッハ家。
13世紀は国王権力が弱体化し、地方の諸侯が城郭を中心に支配権を拡大した時代ではありますが、この事実からもそういった世相を読み取ることができるのではないでしょうか。
ヴィッテルスバッハ城跡に行ったことで、なかなか恐ろしい現実を知ることができました。
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